FJです!
アゼルバイジャン、ジョージアと来て、遂にコーカサス三国の最後の地、アルメニアの首都エレバンに到着ー!!
アルメニアは・・・
アルメニア共和国(アルメニアきょうわこく、アルメニア語: Հայաստանի Հանրապետություն)、通称アルメニアは、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。首都はエレバンで、黒海とカスピ海の間にある内陸国であり西にトルコ、北にジョージア、東にアゼルバイジャン、南にイランとアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン自治共和国と接する。1991年にソビエト連邦から独立した。ナゴルノ・カラバフを巡ってアゼルバイジャンと、アルメニア人虐殺に対する歴史認識をめぐってトルコと激しく対立していたが、近年[いつ?]はアルメニア大統領が両国を訪問するなど関係修復を目指して対話を行っている。
1991年に独立って1989年にFJが生まれた後。
上記にもある様にトルコ、ジョージア、アゼルバイジャン、イランと接しているけど現在の所、国境を越えれるのはジョージア、イランのみ。
アルメニアとアゼルバイジャンでは今も土地を巡る争いが続いている。
だからアゼルバイジャン→ジョージア→アルメニアという経路を取った。
アルメニアとトルコは歴史的に関係が良くなくて行き来出来ない。
アゼルバイジャンに滞在していた時、この両国の戦争により難民となった人と話したり、アルメニアについて話すと空気が張り詰めた事があった。
ちなみに危険エリアでは今でも毎晩の様に銃弾が飛び交っているという話を聞いた。(FJはアルメニアの首都エレバンにいてすごく治安もいい)
でもアルメニアで仲良くなって話してくれる人は「アゼルバイジャンってどんな所だった?」と興味深く聞いてくれたりして個人同士が憎み合うのが戦争ではないって事を感じさせられた。
じゃあトルコとは何があったのか。
1800年後半〜1900年前半にかけ、オスマン帝国(後継国家はトルコ)がアルメニア人に対する大虐殺を行っている。
第一次世界大戦が起き、ロシアと戦っていたオスマン帝国は、アルメニアがロシア側に付く事を恐れてこの大虐殺が行われたとされている。
この大虐殺で150万人以上もの人が犠牲になっている。(現在のアルメニアの人口は310万人程)
なんとアルメニアの首都エレバンにはこの大虐殺についての博物館がある。
アルメニア人虐殺博物館
ここに行って来たんだけど、目を覆いたくなる様な写真や映像が展示されている。
展示されていた写真はここには掲載しないけど
例えば
食事も取れていないであろう絶望した様な眼をした子供。
あばら骨もくっきり見えるほどガリガリに痩せた子供の遺体。
我が子の遺体を抱え、悲しみにくれる親。
痛々しい傷を全身に負った女性。
遺体の山・・・
これが同じ人間同士が起こした事かって疑いたくなるくらいの物がたくさんあった。
FJは旅をしてから「人間」という物をどんどん好きになっていっている。
これは出会う人が素晴らしく優しかったり、離れていてもFJの旅を応援してくれる人達のおかげで、人を好きにならずにいられない。
でも認めたくないけど、戦争も虐殺も「人間」がやってると言うことに気付かされる。
こういう事を知る度、自分はいかに無知で呑気に生きて来たのか・・・という事を思い知らされる。
この博物館を後にすると、なんとも言えない重たい気持ちになった。
でも行って良かったと思ってる。
こういった歴史を学ぶ事で絶対に繰り返さない事が大事だと思う。
まずは知る事から。
もし興味があればYou tubeで関連する動画を見ればショッキングな映像も見る事が出来る。
2 thoughts on “アルメニアの歴史”